福井・敦賀へ 金崎宮 敦賀赤レンガ倉庫 人道の港・敦賀ムゼウム
少しブログの更新が空いちゃいました。
怒涛の年度末、年度始めの山を越えまして、ちょっと一息という感じです。
新年度を迎え、オフィスの顔ぶれも少し変わりました。
心機一転、今年度も頑張るぞ〜っと。
さてさて、先日3月27日の福井県・三方と敦賀へのお出かけ、前回の続きです。
三方では、うなぎや源与門さんで久しぶりのうな丼をいただきまして、ず〜っと行ってみたかった福井県年縞博物館を訪問。
お次は、敦賀に向かいまして、お花見です。
福井県年縞博物館のある縄文ロマンパークから、国道27号線で約30分の移動。
敦賀赤レンガ倉庫
大阪から福井に移り住んで、もうすぐ8年が経ちますが、敦賀は幾度となく訪れた街です。
過去、このブログで敦賀へのお出かけについて綴ったつもりでいましたが、今回初めてなんですよね。意外でした。
敦賀で一番好きなスポットは敦賀港エリアで、こちら敦賀赤レンガ倉庫はランドマーク的存在です。
明治38年(1905年)、米国の紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニーによって、石油貯蔵用倉庫として建設された敦賀赤レンガ倉庫。
敦賀は古くから、日本海を介して大陸との交流が盛んに行われた交通の要衝で、明治15年(1882年)には、日本海側では初となる敦賀と滋賀県・長浜を結ぶ鉄道が敷設されます。
さらに、明治35年(1902年)、敦賀〜ロシア・ウラジオストク間の直通定期船の就航が開始されると、明治45年(1912年)には、東京・新橋駅と敦賀・金ヶ崎駅を結ぶ直通列車・欧亜国際連絡列車(ボート・トレインと呼ばれるそうです)が運行されるようになります。
欧亜国際連絡列車は、ウラジオストクからシベリア鉄道を経由して、パリまでつながっていたそうです。
鉄道と港とともに発展した敦賀。
敦賀赤レンガ倉庫は、当時の繁栄を象徴する建物で、平成21年(2009年)、国の登録有形文化財に指定されています。
倉庫の横には、敦賀ゆかりの急行わかさが展示されています。
キハ28形の列車で、昭和30年代から平成10年頃まで小浜線を運行していたそうです。
敦賀赤レンガ倉庫は、平成27年(2015年)にリニューアルオープン。
敦賀の街並みを鉄道と港のジオラマで再現したジオラマ館、レストラン館を備えています。
こちらは、赤レンガ倉庫前に立つぐるっと敦賀周遊バスのバス停。
「鉄道と港の街」にちなんで、鉄道=銀河鉄道999、港=宇宙戦艦ヤマトと、敦賀の街には松本零士さんの両作品のキャタクターがいっぱいです。
さてさて、敦賀でのお花見です。
お花見スポットとして選んだのは、金崎宮(かねがさきぐう)。
赤レンガ倉庫のすぐ近くです。
上の写真は、金崎宮の石階段参道で、参道に沿って桜が咲いています。
参道を目指して、テクテクと。
敦賀港線跡
途中、線路跡が。
戦後は、JR北陸本線の貨物支線として利用されていましたが、2019年に廃止されています。長い間お疲れ様でした。
少し鉄道の話が長くなっちゃいましたが、金崎宮・参道に到着です。
金崎宮(かねがさきぐう)
参道
境内まで続く約150mの石階段をえっちらおっちら上がっていきます。
あぁ〜、良い眺め。
鳥居をくぐって、境内へ。
舞殿
桜はまだ五分咲きぐらいですが、キレイですね〜。
提灯に「花換まつり」とあります。
花換まつり(はなかえまつり)は、桜が咲き誇る約10日間に渡って催されるお祭りで、今年は4月1日から4月15日まで開催されます。
訪れたのは3月27日で、ちょうどお祭りの準備中でした。
明治40年頃に始まった花換まつりは、金崎宮で授かった桜の小枝を「花換えましょう」と声を掛けて、思いを寄せる相手と交換し合うという、とってもロマンチックなお祭り。
恋愛成就の「恋の宮」としても人気なんですよ〜。
独身こじらせ三十路のわたくしは、ソーシャルディスタンスをしっかり保って、桜撮影に没頭であります。
御本殿
尊良親王(たかながしんのう)と恒良親王(つねながしんのう)がお祀りされています。
足利尊氏の入洛により、新田義貞とともに敦賀・金ヶ崎城に入城された両親王ですが、延元2年(1337年)、足利勢との戦いに敗れ、亡くなられてしまい、金ヶ崎城も落城となります。
明治に入って、地元敦賀の方々の請願によって、金崎宮は創建されました。
また、金崎宮から山を登っていくと、金ヶ崎城跡が残っています。
貨物支線だった敦賀港線跡が見えます。
鉄道コンテナが残されていて、味わいのある景色です。
たっぷりとお花見を愉しみまして、金崎宮から下りてくると、・・・
レトロな外観の建物が見えてきました。
人道の港・敦賀ムゼウム
こちらは、昨年2020年11月にリニューアルオープンした資料館、人道の港・敦賀ムゼウムです。
欧亜国際連絡列車を経由して、ヨーロッパ各都市と結ばれていた国際港・敦賀港。
1920年代には、ロシア革命で家族を失ったシベリアのポーランド孤児が、また、1940年代には、リトアニア日本領事館外交官・杉原千畝さんが発給した「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本唯一の港です。
(杉原千畝(すぎはら ちうね)さんは、日本のシンドラーとして有名ですよね。ナチスの迫害を受けて、ポーランドからリトアニアに逃げてこられたユダヤ難民に、日本本国の命令に背いて、「首になっても構わない、人道上拒否できない」と、2,139通もの命のビザを発給したそうです。すっごい人です。)
人道(困った人がいたら助ける)の港・敦賀ムゼウムは、孤児・難民を受け入れた敦賀の歴史を伝える資料館。
ちなみに、ムゼウムとは、ポーランド語で資料館の意味だそうです。
ムゼウムは、大正から昭和初期にかけて実際に敦賀港にあった建物4棟を復元した外観になっています。
税関旅具検査所棟
敦賀港駅舎棟
大和田回漕部棟
ロシア義勇艦隊事務所棟
最後は、敦賀港の目の前に広がる金ヶ崎緑地へ。
金ヶ崎緑地
金ヶ崎緑地では、毎冬、北陸最大級の敦賀港イルミネーション・ミライエが催されます。
写真は、2017年に訪れたミライエです。キレイですよ〜(メチャ寒いけど。。。)
ポカポカ陽気で、港の潮風が心地よかったです。
今回は、何だか内容てんこ盛りになっちゃいました。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
まだまだ敦賀の魅力をお伝えしきれていませんので、またブログでご紹介できればと思います。
今回はこの辺で。
次回、長崎旅に戻ります。
ではでは。
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