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長崎へ - vol.30 - 祈りのゾーン グラウンド・ゼロ

 

大阪・京都・兵庫の緊急事態宣言ですが、2月いっぱいの解除に向けて調整が行われているようです。

この年末年始は、地元・大阪に帰省せず、福井で過ごしましたが、本当に大阪が恋しくて恋しくて。。。

宣言解除後、落ち着いたら実家に帰りたいなぁ〜。

 

さてさて、昨年10月30日から2泊3日で訪れた長崎旅、前回の続きです。 

 

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長崎旅の最終日・3日目は、長崎市めぐり

平和公園エリアに向かいまして、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪れました。

 

祈念館を後にして、平和公園を目指して歩いていると、・・・

 

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浦上川支流・下の川(しものかわ)の向こうに広場が見えます。

平和公園の一部で、原子爆弾が投下された中心地にあたり、原子爆弾落下中心地碑など、祈りのゾーンとして整備されています。

 

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緑橋を渡って、祈りのゾーンへ。

 

祈りのゾーン

 

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長崎市│祈りのゾーン

 

被爆50周年記念事業碑

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こちらは、長崎市出身の彫刻家・富永直樹さんによって制作された記念碑。

 

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原子爆弾落下中心地碑

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昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、長崎に投下された原子爆弾

長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発し、1秒後には半径約240m・約30万度の火球ができ、爆心地の地表温度は約4,000度に達したと推定されるそうです。

 

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爆心地、グラウンド・ゼロには碑が立ち、被爆によって亡くなられた方々のお名前が奉安されています。

 

浦上天主堂遺壁

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大正14年(1925年)に完成し、当時東洋一大きい教会といわれた浦上天主堂

被爆の爆風で一瞬のうちに崩壊し、続く火災によって焼失してしまいました。

わずかに残った聖堂南側の一部が移築されています。

なお、現在の浦上天主堂は、昭和34年(1959年)、ここから北東約500mの場所に再建されています。

 

親水護岸

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祈りのゾーンを流れる浦上川支流・下の川(しものかわ)の護岸は、憩いの空間となっています。

 

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被爆当時、下の川上流で家屋解体作業に派遣されていた県立長崎工業学校の生徒・先生たちも、爆発でほとんどが亡くなられています。

 

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護岸には、国内外の子どもたちが描いた大きな絵画が掲げられていました。

 

13年ぐらい前から始まった取り組みで、パブロ・ピカソゲルニカと同じ大きさのキャンバス(縦3.5m・横7.8m)に描かれることから、キッズゲルニカと呼ばれているそうです。

 

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今回はこの辺で。

次回、長崎めぐり続きます。

 

ではでは。

 

1.国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 2.祈りのゾーン

3.原子爆弾落下中心地碑 4.旧浦上天主堂遺壁 5.親水護岸 

 

 

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