長崎へ - vol.26 - 平戸 崎方公園 三浦按針墓地公園 フランシスコ・ザビエル記念碑
昨日の休日は、1日中お家での〜んびり。
夜は、あったかキムチ鍋でポッカポカ。
フル充電で、今日もお仕事頑張るぞ〜。
さてさて、10月30日から2泊3日で訪れた長崎旅、前回の続きです。
平戸のオランダ商館通りに沿って立ち並ぶ、古い街並みを楽しくスナップ。
時間は16時30分を過ぎ、だいぶ陽が傾いてきました。
平戸めぐりの最後は、平戸の街並みを一望できる高台にある崎方公園(さきがたこうえん)へ。
平戸港の北側、平戸オランダ商館のすぐ近くですが、高台にあるので、レンタカーのマーチで移動です。
崎方公園
崎方公園 | 観光スポット | 【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット
崎方公園(さきがたこうえん)はヒラドツヅジの名所で、園内に約3,500本が植えられています。
また、徳川家康の外交顧問として活躍し、平戸で生涯を閉じたイギリス人・ウィリアム・アダムスさん(日本名は三浦按針(みうら あんじん)) のお墓や、フランシスコ・ザビエル記念碑があります。
訪れたのは、10月31日。
残念ながら、ヒラドツツジのシーズンは春なので咲いていませんが、バラが咲き誇っていました。
バラ越しに平戸港の景色が一望できます。
真紅のバラと、朱色の平戸大橋。赤の共演です。
遠見展望台
展望台に上がって、より高い所から。
眼下に平戸城も見えますね。
いやぁ〜、見晴らし最高です。
三浦按針墓地公園
三浦按針の墓|魅力あふれる平戸の観光情報 ほっこり Hirado|長崎県 平戸市(ひらどし)ホームページ
1598年、イングランド出身の航海士・ウィリアム・アダムスさん(1564-1620)は、極東を目指す航海の一員として、オランダ・ロッテルダム港を出航。
航海は困難を極め、スペイン船、ポルトガル船による拿捕、赤痢の蔓延、インディオの襲撃などで、出航時5隻の船団でしたが、極東に辿り着いたのは、アダムスさんが乗るリーフデ号だけ。
110人だった乗組員も、日本漂着時には24人まで減ってしまったそうです。
慶長5年(1600年)、豊後国臼杵藩(現在の大分県)の黒島に漂着したリーフデ号。
すぐに長崎奉行に拘束されたアダムスさん一行は、大坂に送られ、豊臣秀吉政権下の五大老トップ・徳川家康の事情聴取を受けます。
航海術など、西洋技術にすっかり感心した家康は、アダムスさんを釈放。江戸に外交顧問として招き入れました。
慶長12年(1607年)には、120tの大型船の造船を指揮するなど、その功績が讃えられ、家康から相模国逸見に領地250石を与えられ、旗本となります。
三浦按針という日本名も与えられますが、領地のあった三浦半島と、水先案内人を意味する按針に由来するようです。
家康の死後、江戸幕府は鎖国体制をとり、オランダとの貿易を平戸に限定。
天文官として平戸に赴任した按針さんですが、常に幕府からその行動が警戒されていて、難しい立場だったみたいです。
享年55歳で、平戸で亡くなられています。
遊歩道を進んで、フランシスコ・ザビエル記念碑へ。
フランシスコ・ザビエル記念碑
フランシスコ・ザビエル記念碑|魅力あふれる平戸の観光情報 ほっこり Hirado|長崎県 平戸市(ひらどし)ホームページ
平戸ザビエル記念教会の記事でご紹介しましたが、・・・
三度にわたり、布教のため平戸を訪れたフランシスコ・ザビエル。
昭和24年(1949年)、ザビエル来訪400周年を記念して、フランシスコ・ザビエル記念碑が建立されました。
さて、記念碑を後にして、按針坂を下っていきます。
崎方公園展望台
芝生の広場が広がっていて、木組みの展望デッキを発見です!
今回はこの辺で。
次回、平戸めぐり続きます。
ではでは。
1.オランダ商館通りの古い街並み 2.崎方公園 3.遠見展望台
4.三浦按針墓地公園 5.フランシスコ・ザビエル記念碑 6.崎方公園展望台