長崎へ - vol.5 - 大浦天主堂 キリシタン博物館
11月も残り2日。
もう12月で、今年も終わっちゃいますね。
何かと制限の多い1年となりましたが、まだまだ厳しい状況が続きそうです。
実家・大阪の母親と電話で話しましたが、最近は必要最小限のお買い物のために外出する程度で、ほとんど家で過ごしているようです。
今のままだと、この年末年始の帰省はやめておいた方がいいかなぁ〜と思っています。ちょっと寂しいですけどね。
さてさて、10月30日から2泊3日で訪れた長崎旅、前回の続きです。
長崎旅の1日目。
大浦天主堂拝観の前に、祈念坂から長崎港、稲佐山を望む景色を堪能。
それでは、大浦天主堂拝観です。
大浦天主堂は、昭和8年(1933年)に国宝に指定(※当時は旧法による指定。昭和28年に現行法である文化財保護法に基づいて、国宝に再指定されています。)、また平成30年(2018年)には、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の一つとしてユネスコ・世界遺産に登録されたカトリック教会。
ちなみに、洋風建築としては最初の国宝指定となるそうです。
慶長元年(1597年)、豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって26人(日本人20人、外国人6人)が捕らえられ、長崎の西坂で処刑されてしまいます。
文久2年(1862年)、ローマ教皇ピオ9世によって殉教した26人に聖人の尊称が与えられ、元治元年(1864年)、日本二十六聖人に捧げる教会として大浦天主堂は竣工しました。
なので、大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者聖堂と言い、聖人たちの殉教地・西坂に向けて建てられています。
ゴシック建築様式で、パリ外国宣教会のフューレ神父と、プティジャン神父によって基本設計されていて、日本に現存するキリスト教建築物としては最古となります。
総工費は現在の貨幣価値で約4億円に上るそうですよ。
真っ白な漆喰塗りがキレイですよね〜。
創建当時は木造建築でしたが、明治12年(1879年)に増改築が行われ、外壁は煉瓦造りに、間口・奥行が広がり、約2倍の大きさに拡張されたそうです。
(写真では分かりづらいですが)天主堂正面には、「天主堂」と刻まれています。
天主とは、神様という意味の中国語。
日本での布教にあたり、中国で広く使われていた言葉を用いたものです。
この後、天主堂内を拝観させていただきましたが、写真撮影はNG。
堂内で、まず目を引くのはとても高〜い天井で、ゴシック様式の特徴であるリブ・ヴォールト(こうもり天井)になっています。
ステンドグラスは種類が豊富で、1879年の増改築時のもの、1945年の終戦後修復されたもの、1990年の台風被害後に修復されたものが混在。
ステンドグラスに差し込む光が幻想的で、荘厳な雰囲気に包まれます。
続いて、大浦天主堂に併設されるキリシタン博物館(旧羅典神学校、旧長崎大司教館)を見学です。
写真の右側が旧長崎大司教館、左奥が旧羅典神学校です。
旧羅典神学校
明治8年(1875年)に建設された旧羅典神学校(きゅうらてんしんがっこう)。
禁教下、大浦天主堂では司祭館の屋根裏に隠し部屋を造って、日本人神学生の育成が行われていましたが、禁教解除後に長崎公教神学校が開設されました。
ミサや授業がラテン語で行われていたことから、羅典神学校と呼ばれるようになったそうです。
パリ外国宣教会のマルク・マリー・ド・ロ神父により設計された木造建築で、昭和47年(1972年)に、国の重要文化財に指定されています。
旧長崎大司教館
こちらは、旧羅典神学校のお隣の旧長崎大司教館。
大浦天主堂の建設前、神父さんの執務室として司祭館が建てられていましたが、老朽化に伴い、大正4年(1915年)に建て替えられた建物となります。
旧羅典神学校と同じくド・ロ神父により設計された、地上3階建ての煉瓦造り。
敷地の傾斜を利用して、一部地下1階となっています。
キリシタン博物館の見学の後は、天主堂の色んなお顔をパシャパシャと。
今回はこの辺で。
ではでは。