鞆の浦へ - vol.4 - 福禅寺・対潮楼
少し遅い夏休みで、今日から5連休です!
コロナを極力避けて、感染拡大注意地域以外での旅先を模索しましたが、・・・
結果、旅行は諦めて、お家で大人しくすることにしました。(どないやねん)
だって、予想天気図で日本列島が真っ赤っ赤!
長い自粛生活で運動不足っぽいので、久しぶりのブラブラ旅でひっくり返っちゃうと大変なので。
涼しいお部屋で読書でもしようかな。
さてさて、2019年9月の広島県・鞆の浦、尾道の港町めぐりの旅、前回の続きです。
1日目は鞆の浦。
鞆城跡、鞆の津の商家、桝屋清右衛門宅を後にして、今度は海沿いに向かいます。
海〜、空〜、島〜。
瀬戸内の穏やかな海です。
気持ち良い〜。
フェリーが見えますが、福山市営渡船場から仙酔島(せんすいじま)へ向かう便のようです。
瀬戸内海国立公園って、どこまでなんだろう?
ということで、調べてみると、・・・
「備讃瀬戸を中心に、紀淡・鳴門・関門・豊予の4つの海峡に囲まれた地域で、1府10県(大阪府・兵庫県・和歌山県・岡山県・広島県・山口県・徳島県・香川県・愛媛県・福岡県・大分県)にまたがる90万haを超える公園」って、めちゃめちゃ広いし!
ちなみに、日本で最も広い国立公園で、また日本で最初に指定された国立公園(昭和9年(1934年)、雲仙、霧島とともに指定)になるみたいです。
こちらは、鞆の浦と仙酔島の間にある無人島・弁天島(べんてんじま)。
島の名前の由来、航海の守護神・弁財天を祀る弁天堂(福寿堂)が見えます。
正確な建立時期は不明ですが、現在の弁天堂は、正保元年(1644年)、鞆奉行・荻野新右衛門によって再建されたそうです。
海の美しさを満喫しましたが、さらに鞆の浦を絶景を一望できるという福禅寺・対潮楼を目指します。
海岸沿いから、少し石階段を上がって、
福禅寺・対潮楼
福禅寺は、平安時代の950年頃、空也上人によって天台宗の観音堂として創建されたと伝えられる寺院。
寛永15年(1638年)、真言宗大覚寺派に指定された際に、福禅寺と改められました。
山号は、海岸山。
本堂と隣接する客殿・対潮楼は、江戸時代の1690年頃に建立。
「日東第一形勝」と刻まれた石碑。
「日本一の景勝」という意味みたいです。
本堂から、隣接する客殿・対潮楼へ。
こちらにも、「日東第一形勝」と掲げられています。
対潮楼は、朝鮮通信使三役のための迎賓館として使用され、正徳元年(1711年)、朝鮮通信使の従事官・李邦彦によって「日東第一形勝」と、その景観を讃えられました。
朝鮮通信使遺跡として、国指定史跡となっています。
朝鮮通信使のお人形さん。
今回はこの辺で。
次回、鞆の浦めぐり続きます。
ではでは。