京都へ - vol.9 - 一条戻橋 晴明神社
こちら福井は、朝からくもり空。
明日の天気予報では、小さな雪だるまマーク。
そろそろ車のタイヤ交換と思っていましたが、もう少し様子見かな。
さてさて、京都・西陣ぶらり散策、前回の続きです。
堀川沿いをテクテクと。
一条戻橋
一条戻り橋|観光情報検索|京都“府”観光ガイド ~京都府観光連盟公式サイト~
多くの逸話が残る一条戻橋(いちじょうもどりばし)。
現在の橋は、平成7年(1995年)に架け直されたものですが、その歴史は古く、平安京造営(794年)の際に架けられ、現在も当時と同じ場所にあるそうです。
一条戻橋からの眺め
堀川沿いに親水スペースが整備されています。
平安時代に架けられた当初は、土御門橋(つちみかどばし)と呼ばれたそうですが・・・、
延喜18年(918年)、漢学者・三善清行(みよしきよつら)の棺を納めた葬列が土御門橋に差し掛かったとき、熊野で修行中だった清行の息子・浄蔵が駆けつけ、祈りを捧げると、雷鳴とともに父・清行が息を吹き返したそうな。
「あの世からこの世へ戻った場所」として、戻橋と呼ばれるようになったそうです。
嫁ぎ先から実家へ戻って来ないようにとの願掛けで、「嫁入り前の女性は近づいちゃダメ!」と云われていることを後になって知りました・・・。
今のところ、お嫁に行く予定は一切ないので、気にしない気にしない。。。
戻橋の下をくぐって南へ行くと・・・、
堀川第一橋(中立売橋)
一条戻橋のひとつ南に架かるこちらは、堀川第一橋(中立売橋)。
江戸時代、御所と二条城を結ぶ道筋に架かる橋として重要な役割を担い、幕府直轄で管理する公儀橋とされ、堀川第一橋と名付けられました。
堀川の中立売通りに架かるので、地元では中立売橋(なかだちうりばし)と呼ばれるそうです。
現在の橋は、明治6年(1873年)に京都市によって架け直されたもので、全国的にも珍しい石造りの真円アーチ橋。
堀川第一橋を後にして、再び堀川通りを北へ戻って。
晴明神社へ。
一の鳥居
平安時代の天文学者(天文陰陽博士)・安倍晴明公をお祀りする晴明神社。
寛弘4年(1007年)の創建で、安倍晴明公の屋敷跡に本殿が建てられています。
鳥居には、神社や神様の名前が掲げられているのが普通ですが、こちらは星マーク☆
陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつ晴明桔梗(五芒星)で、社紋となっています。
旧一条戻橋
鬼を家来として使っていたという安倍晴明公。
でも、晴明公の奥さんが鬼の顔を怖がられ、普段は鬼を一条戻橋の下に隠していたという伝説が残っています。
晴明公とゆかりのある一条戻橋。境内には、先代の一条戻橋の欄干の柱を使ったミニ戻橋が再現されています。
二の鳥居
境内は星☆でいっぱい。
晴明井
晴明公が念力で涌出させたという井戸、晴明井。
安倍晴明恐るべし・・・。
手水舎
安倍晴明像
本殿
御神木の楠
御神木の楠は、樹齢推定300年。
厄除桃
陰陽道では、桃は魔除けの果物とされるそう。
桃太郎のお話も、これに由来するとかしないとか。
晴明神社を後にして、帰路につきますが、最後に少しスナップを。
京都・西陣、素敵な路地がいっぱいで、とっても満喫できました。
何度も訪れてみたい街ですね。
今回はこの辺で。
ではでは。